MIZUKIのブログ記事について
Ubuntu「つまり、他の人が惨めなときに、どうして私たちの1人が幸せになれるでしょうか?」
気づきをありがとうございました
この数日は記事の更新ができませんでした。5日の夜に気が付きました。テレグラムのM●●Cチャンネル(略しています)からバンされていました。
当チャットの規約の一つに、『チャンネルと私のブログで掲載した内容と、チャット内での皆さんの考察、コメント等を個人のテレグラムチャンネルや、個人のブログ、または他のSNSへ転送、掲載する際は、当チャンネル名とURLを必ず明確にして添付する事』とあります。
過去、数回に渡り当チャンネルと私のブログ内で、その旨のお願い/警告を致して参りましたが、残念ながら、本日、ご協力頂けなかった方が数名いらっしゃる事が判明しました。その方達には心苦しいのですが退室処置を取らせて頂きました。
わたしがブログを書き出したのは「自分自身の目覚め」がきっかけでした。いままで存在していた”現実”が「真実」ではないと気づいた時から、情報を探しました。探してゆくと更に情報が入ってくるようになり、テレグラムで多くの方々が発する「真実」に吸い込まれるように目覚めが深くなりました。
衝撃と共に、素晴らしい情報をテレグラムをご覧でない方や眠っている人に少しでも知ってもらい目覚めのお手伝いができないかと考えました。Twitterやテレグラムなどの単発の発信は私には不向きだったのでブログにまとめる事にしました。
自分自身の記録として始めましたが、検索でヒットした人が情報を読んでくれて役に立てたらいいなと思いました。テレグラムやTwitterなどは時系列に関係なく発信され、時間経過と共にどんどん流れていってしまう為に、記事にするのは起きている出来事を時系列にしてからまとめなければならず、思ったよりも時間がかかりますしトップ画像作成もしているのでなかなか手間がかかります。
記事のソースはチャンネル名に投稿URLを紐づけ、参照記事を埋め込むなどできる限り掲載しています。それは情報の投稿者への敬意を示すとともに、ソースを示すことで具体的な投稿だと信じてもらう為でもありました。情報を発信してくれる人にはいつでも感謝しています。
少しだけ技術的な話をすると、膨大なテレグラム投稿を関連するものごとに集めて記事にする為に、一旦「保存ファイル」に転送します。いつもチェックする信頼できるチャンネルを回って全部の投稿を読んでから「保存ファイル」に転送した投稿から記事に入れてゆきます。
そこでちょっと問題があります。「保存ファイル」に転送すると「投稿URL」が辿れなくなってしまうのです。仕方がないので投稿チャンネル名とチャンネルURLをソースとして表示しています。
1つのチャンネルからだけ情報を集めて記事に入れる事はありませんので、上記のような「投稿内容と投稿URLが連動しない」という事態になります。ソース元を入れる事は十分に留意しています。
「情報を盗む」「自分の手柄にする」「投稿者をないがしろにする」そのような意図は毛頭ありませんが、何か逆鱗に触れてしまったようです。
もし投稿を盗む意図があるのなら自分のテレグラムIDをブログと関係ないものにし、チャットに発言などせずROM専門にしていれば一切目立つこともなかったでしょう。しかし私はそうしませんでした。規約を守り参加していましたし所有者さんの3月の誕生日にはお祝いメッセージも送りました。最初からいつでも感謝しかないからです。しかし、全てはチャンネル所有者様の自由であり権利です。
実は昨年、私の記事を重要な部分だけスマホでキャプチャしツイートしている方や全部まるごとコピペしているブログなどみつけました。「いいね」や「リツイート」を多くもらいその方の情報になっている状況です。その時は部分的にキャプチャしている方に「URLだけでも掲載して頂けませんか」とメッセージしました。その方は快く訂正してくださいました。その後に自分のした行動に違和感を感じました。「心が狭いなぁわたし」と思いました。
そして「規約」「恐怖」「許可」「制限」「罰」はDSのやり方だなと思い、5次元的ではないなぁと感じていました。このような制限や囲い込みってとても閉鎖的で支配的です。
そういうやり方をしたくない。ディープステートのようになりたくはありません。どんな情報でも誰でも知る権利があると思います。
ブログを書き始めた時の気持ちを思い出しました。1人でも多くの人に真実を知ってもいらいたい、目覚めのきっかけになれるブログになれたら嬉しい。発信者の名前なんて関係ない。
いまここに改めて感謝します。M●●C(略しています)のみなさま、今までありがとうございました。せっかくの素晴らしい情報です、大勢に届くといいなぁと思います。感謝。
そして色々と情報発信してくださる方々に心から感謝申し上げます。
Ubuntu

An anthropologist showed a game to the children of an African tribe …
He placed a basket of delicious fruits near a tree trunk and told them: The first child to reach the tree will get the basketWhen he gave them the start signal, he was surprised that they were walking together, holding hands until they reached the tree and shared the fruit!
Thieves Of Wonders️️
When he asked them why you did that when every one of you could get the basket only for him!
They answered with astonishment: Ubuntu
“That is, how can one of us be happy while the rest are miserable?”
Ubuntu in their civilization means: (I am because we are).
That tribe knows the secret of happiness that has been lost in all societies that transcend them and which consider themselves civilized societies …
ある人類学者がアフリカのある部族の子供たちにあるゲームを見せた.
彼は木の幹の近くに美味しい果物の入ったバスケットを置き、彼らに言った。最初に木にたどり着いた子がバスケットを手に入れることができるスタートの合図をすると、木にたどり着くまで手をつないで一緒に歩き、実を分け合っていることに驚きの声が上がりました
そして、「自分だけカゴを手に入れることができるのに、どうしてそんなことをしたのか?」
と尋ねると、彼らは驚きの表情を浮かべました。ウブントゥ
“つまり、他の人たちが惨めな思いをしているのに、どうして私たちの一人が幸せになれるのか?”
彼らの文明におけるUbuntuとは、(私たちがいるから私がいる)という意味です。
その部族は、彼らを超越し、自分たちを文明社会と考えるすべての社会で失われてしまった幸福の秘密を知っているのだ・・・。 自分も他人も幸せにするアフリカの「ウブントゥ」の教え | ライフハッカー・ジャパン『ウブントゥ 自分も人も幸せにする「アフリカ流14の知恵」』(パンローリング刊)より、閉塞感を打破して幸せに生きる方法を学びます。
この記事を読んでくれてありがとうございます。※過去記事のソースは確認できない時点で削除しています